概説

 カポエイラがどこで生まれたのか、確証を得ることは非常に難しい。アフリカの文化が色濃く影響を与えていることは確かであるが、ブラジルで育まれてきた側面を鑑みれば、カポエイラのルーツをさぐることは容易ではない。
 しかし、ブラジルへの移住を強いられた、アフリカ黒人奴隷の存在なくして、カポエイラを語ることはできない。

 1500年4月22日、ポルトガルがブラジルの植民地化に成功する。ポルトガル人らは、さとうきびの製造による砂糖の利益を上げるため、奴隷たちを主な労働力として使った。当初、土地の原住民をさとうきびの製造に携わらせたが、膨大化する労働力の需要に間に合わず、アフリカ人を奴隷に雇い入れ始めることになる。その間、奴隷たちは自由を得るために、逃亡や闘争を繰り返した。カポエイラは、社会の裏側で、キロンボという逃亡奴隷によるコミュニティで発展、伝授が行われてきた。
 1808年1月23日、ブラジル帝国が樹立される。新しく即位したブラジル皇帝は、1808年から1831年までの間、アフリカ、黒人文化の抑圧、排除を目的とした特別警察を設置し、度重なる弾圧を繰り返した。ポルトガル勢は彼らの文化を取り上げ、壊してしまうことが統治への近道だと考えたのである。カポエイラもその例外ではなく、1892年、正式に違法とされる。            
 1920年まで、依然カポエイラを練習または教授することも違法とされていた。奴隷制という抑圧された歴史のなかで、カポエイラは自由を希求する奴隷たちの悲しい身体表現として発展していた。
 1888年5月13日、奴隷制度が廃止された。だが、自由になった奴隷たちは社会にうまく適応できず、その多くはすさんだ生活の中で、カポエイラの価値を見出せずにいた。カポエイラは、ヤクザ者や犯罪者の代名詞のようなもので、警察の追及の手と迫害は未だ止むことはなかった。
 こうした潮流の中、カポエイラのイメージを大きく変えることに貢献した2人の人物がいる。20世紀の特筆すべきカポエイラの巨匠、Bimba(ビンバ)とPastinha(パスチーニャ)である。彼らは、カポエイラの歴史に欠かせぬ人物でもあるし、多くのカポエィリスタの伝説的な先達でもある。



 メストレ・パスチーニャ

 Vicente Ferreira  Pastinha、通称Mestre Pastinha(メストレ・パスチーニャ)は、1889年4月5日に生まれる。彼はアンゴーラ出身のアフリカ人Beneditoから、カポエイラの手解きを受けたといわれている。
 1941年、パスチーニャはバイーア州サルバドールに道場を開設、本格的に指導を始め、その生涯をカポエイラアンゴーラに捧げた。彼は晩年、視力を失い、1981年、11月13日、失意のうちに92歳で他界した。 
 パスチーニャ以前に、奴隷でない身分の者がカポエイラを習い、そして教えたという事実はなかった。そういった意味では、彼はカポエイラの歴史における革命児でもあり、アンゴーラと呼ばれるカポエイラスタイル中興の祖とも評されている。


メストレ・ビンバ

 Manoel dos Reis Machado、通称Mestre Bimba(メストレ・ビンバ)は、バイーア州サルバドールで、1899年(1900年とする説もある)11月23日に生まれる。ビンバは12歳のとき、海洋関係の会社に勤めるアフリカ人Bentinhoから、カポエイラアンゴーラを習う。彼は、より効率的で護身や戦いの技術に長けたスタイルを創り出すため、多くの格闘技の動きを研究し、カポエイラヘジォナウという流派を開く。1930年代、ビンバはサルバドールで初のカポエイラ道場を開校する。ビンバのアカデミー開校は、カポエイラの世界に新しい風を巻き起こした。当時の上流家庭の子供たちまでもがカポエイラを学び始めたからである。様々な階層の生徒達がビンバのカポエイラを学び始め、カポエイラの地位向上に大きく貢献した。


 今日のカポエイラ

 こうして、アフリカ人奴隷たちの苦悩と自由への希求を具現化したカポエイラは、時を経て今日では世界各国多くの人に愛され、楽しまれている。現在メディア等で取り上げられるのは、ヘジョナウとアンゴーラがミックスされたコンテンポラニアスタイルのカポエイラであるが、アクロバットと派手な動きを多用したそのスタイルは、多くの人の目に触れることになった。
 今日、映画やダンスの世界でもカポエイラが取り上げられ、知名度が少しずつ上がってきたのは実に喜ばしい。
 また、ブラジル本国では、カポエイラが小学校の授業で取り入れられたり、ストリートチルドレンの更正手段として注目されているのも実に興味深い。
 他方、アフリカ人奴隷たちの重ねてきた刻苦の歴史を知れば、「カポエイラがダンスだ」と形容されることに違和感を覚えるは私だけだろうか。日本におけるカポエイラの認知と深遠な理解を望んでやまない。



今日のカポエイラの課題


 また、同時に、メストレ・ビンバとパスチーニャの功績の一方で、彼らがオリジナルのカポエイラの形と哲学、技術を大きく変えてしまった、もしくは、取捨を激しく行ってしまったという点が忘れられがちである。年輩のメストレはしばしば、「ヘジョナウもアンゴーラも、今のカポエイラは、自分がやっていた頃のものとは違う」という。
 カポエイラは、紛れも無く奴隷たちの戦いの手段であり、観光客向けのショーや、生活の手段と相成ったのは、ごくごく最近の話であることを忘れてはならない。時代とともに変遷を遂げるのは、どの武術も同じであるが、当然ながら、ビンバやパスチーニャが生まれる前からカポエイラは存在していたし、今日親しまれている多くのビリンバウのリズムも、ビンバやパスチーニャがクリエイトしたものばかりではない。ゆっくり地面を這うような動きばかりで、奴隷たちが武装した白人に対抗できるわけがないし、その一方で、ヘジョナウの技術の原点も、パスチーニャと同じ「capoeira」だったのである。
 巷間、カポエイラのスタイルを云々するきらいがあるが、本来のカポエイラのフンダメントと在り方を追究していけば、小手先の技術論やスタイルの差異などは、大きな問題ではなくなってくるのではなかろうか。